ポストイットとラインマーカー

わなび学生による漫画、アニメ、日常中心の覚書ブログ。短歌も1日1首載せています

11/24(日)動物園の檻に嵌めるようなガラス板

 私が、初めてきちんと文章を書いたのは高校生の頃。所属していた文芸委員会の応募を水増しするためだった。大学に入るまで満足にPCを使えない環境だったため、携帯メモで文章を組みながら原稿用紙にそれを写した。2Bの鉛筆で汚らしい字を書き殴った事は、今でも鮮明に覚えている。
 
当時から自意識過剰で中二病の私は、授業で扱われた横光利一の『蠅』や志賀直哉の『城の崎にて』など、憂鬱な題目を簡潔に描き切る短編に嵌まっていた。特に後者は何度も読み返すくらいにだ。そのため分不相応にも、出来損ないの模倣に自分の鬱屈をのせて一本書いた。結果は勿論、酷評の嵐で、教員にはませたテーマに人生経験と文章力が全く追いついていないとこき下ろされ、委員会の人間に総出で笑われ、とても恥ずかしかった。
 
あの原稿は預けたままいまだに返してもらっていないが、今でもそこに書いた一文は頭から消えない
「彼の周りには存在を感じさせない位透明でありながら分厚い、動物園の檻に嵌めるようなガラス板が常に嵌っていた。」
 
 
 
 うわあああ「動物園の檻に嵌めるようなガラス板」って何だよ、旭硝子の特注品か……今自分で思い返しても本当に恥ずかしい文章だった。笑われるの当たり前だし、皆よく読んで反応を返してくれたと思うよ
 
 
 ただ、本当に痛々しいけれども、あの文章は高校生なりに自分の息苦しさを表現したかったのだと今なら分かる。上位大学進学の事しか頭にない締め付けが厳しい家、「変わりもの」としていじられキャラが定着していて辛かった友達関係、「やりたいこと」を見つけろという高校の教員。頭の良い大学なんか興味ないよ、あなた達の方が余程変じゃないの、「でもしか先生」の先生にはやりたい事があるの。本当は言いたい事が沢山あった
 
「私は確かに、他人の決め付けに逆らえない、管理される側の人間だ。でも、誰かのおもちゃでも見世物でもない。私自身もあなたたちから一歩距離を置いて、大人しく言う事を聞いてやっているんだぞ。」
上の痛々しい文章には恐らく、こんな1人の高校生の反発心が込められていたんだろう
 
でもそうやってこちらに決めつけを押し付けてくる人は皆悪意が無いと分かっていたし、大体は相手に正しさが、自分に問題がある事も分かっていた。何より私には、誰かに嫌われて孤立してまで我を通す意気地も無いため、ろくな反抗も出来なかった。したがってとりあえず毎日をやり過ごしながら、いつになったら孤独でも平気な生き方を出来る人間になれるのか、他人の「普通」から逃れられるのか、あの頃の私はそればかり考えていた
 
 
 
 翻って5、6年後、現在の私はどうなったかと言えば。あの頃より少しは立派になって、他人に合わせられるだけの力量を手に入れたのか。それとも、確固たる揺らがぬ我を手に入れたのか
 
いや、どちらでもない。大学に入ってもいじられキャラはいまだ変わらず、「やりたいこと」も特に見つからないまま。いい歳をして親頼みの生き方さえ変える事ができない。むしろ、何も考えず直感に全てを任せて行動するようになってしまっただけ、当初より退化している気もする
 
しかし、そんな体たらくの中で敢えて1つだけ成長した事を挙げるなら、心の中にスクラップ帖を1冊持てるようになった事だろうか。私は高校を卒業し、大学に入ってから、本当に多種多様な人々を目にしてきた。学風ゆえか大学には他人に合わせる気のない極端な人たちが沢山いたし、アルバイト先でもいろいろな理由で文字通り生きる世界の違う人達や彼らを支える家族の方々と接してきた。皆優しい人たちで、意味不明と感じると顔に出てしまう私にも真っ向から向き合ってくれていた。彼らの生き方を心に残す事で私は、勿論自分自身は未だ中途半端なままなのだけれども、自分を持った生き方の具体的なモデルを豊富に抱えられるようになったと思う
 
 
 
 そう、先ほど「直感に全てを任せて」と書いたが、好意的に捉えれば高校生時代程無駄にぎこちなく生きる必要の無くなったのも、スクラップ帖のページが埋まる中で「ガラス板」が「全身タイツ」程度にまで薄く伸縮性を持ったものに変化したからなのかもしれない
 
だからきっと高校生の私の前進は、微々たるものかもしれないけれど確かに今につながっている。他人の生き方を蒐集することで身体を覆うガラスを奇妙なタイツに変え、反発心を文才の欠片もない言葉で原稿用紙の代わりにブログにぶつけて、きっと自意識過剰な大学生の私の中に高校生は息づいているのだ
 
今度迎えに行くか、あの駄目駄目原稿