11/7(木)枕に出来ない
行きつけのあゆみBooksで池波正太郎『男の作法』が平積みされているのを見かけた。池波氏といえば、まとめサイトに纏められる程多くの名言があるグルメな風流人、という位しか存じ上げない
「未熟ということは大切なんだよ。僕だって未熟。天狗になったらおしまいだよ。」
私は、この名言だけ気に入って胸に刻んでいる。こんな風に言っても嫌味にならず味の出る、そんな人間になりたいものだ
それにしてもなぜ今更彼の古い著作を掘り起こすのだろう。そう思って調べると、なんだ生誕90年なのか。亡くなっているのに「生誕」……池波氏自身よりもよく使われるこの表現に違和感を感じて気を取られてしまう。
没後80周年として同店では宮沢賢治も取り上げられていたが、生誕・没後・発刊記念云々、1人の著名人のために一体幾つのお祝いが行われるのやら……
閑話休題
本年度の宣伝会議賞の総応募者数が発表された。
言葉に関しては専ら消費専門の私も、電子応募の始まった今回から応募してみた。なので、488916点の中に私の子ども達も入っている
私は言葉使いの下手くそな人間だ。その立場から上手な言葉使いの人々を眺めて思うに、対象の「本来の解釈(用途)」を離れて尚且つ他者を納得させる解釈を持ち込める言葉は強い
卑近な例を挙げよう。今回の宣伝会議で、知人の作品を見て上の事を強く意識した
電子書籍の某社のキャッチコピーを作成する時、私は「電子」と「本」というカテゴリーに重点を置いて、その用途の差から言葉を立ち上げた。ペーパーレス、クラウド等浮かぶ言葉は一々ありがちで冗長で、コピーは上手く纏まらなかった
対して知人は、「枕に出来ない」の一言で両者の差を超えてきた。「枕」という「本」の本来の用途と結びつかない概念を用いながら、電子書籍の形の自由さを的確に表現したのである
勿論、どんぐりの何とやらで、こんな発想の転換程度キャッチコピーの世界では初歩の初歩かもしれない。それでも、対象と距離を取り、概念の境界を一度出て戻ってくるような、自由で力強い発想が驚きを持ってくる事は、やはり事実だろう
子は親に似る。語り手の生き方はその言葉の中に表れる。婉曲さと簡潔さ、インパクト等を両立出来る色気を備えた他家の子ども達の中で、私に似て泥臭くだらだらしたウチの子達がどう見られるのか。ああ、心配だ