ポストイットとラインマーカー

わなび学生による漫画、アニメ、日常中心の覚書ブログ。短歌も1日1首載せています

12/8(日)まがい星繋ぐ手と手の冬の影

  • 黒鉛
  • 罫線の上
  • すり潰れ
  • 赤く腫れた目
  • ノコリゴゴフンッ
 
 
 
 
 
【今日の一句】
つゆだくのだくの優しさやデフレか
 
 
 

カネッティおじさまと私

 
 
 「お金が無い」は昨日うわ言のように繰り返したが、今日よく考えてみると時間も本当に無い事に気がついた。
提出課題の山に加えて資格試験の期限も迫っている。いや、本当に何で今まで気がつかなかった……
というわけで今日は昼過ぎから図書館に行って勉強してきた。
 
この時期の図書館は、12月に浮かれている人間ばかりではないことを思い出すのに絶好の場である
来年の受験を控えた、中学生や高校生達がわんさか、脇目も振らず勉強をしているからだ。
普段から図書館を利用している方々からすると「机を利用しないで自習室に行きなさい」という気持ちになるのかもしれないけれど、ついこの前まで高校生だった身かつ試験勉強に追われる身としては彼らを応援したくなる
 
私も彼らに習って席に着いて勉強を開始
カリカリとシャーペンを走らせる音だけが、無音の中に響く。そこに消しゴムかけの音、ノートのページを捲る音が加わると、山にいる時に肌に受けるあの佇まいを正したくなる雰囲気を感じてなかなか心地いい。
気がつくと、あっという間に午後8時を回っていた。計7時間、本を読む時間以外で久々に何かに集中した時間だった。
 
 
 流石にくたびれたので、適当に机の後ろの棚を漁って本を取ってくる。
アウシュビッツ関連の資料の横に、エリアス・カネッティなる人物の『蠅の苦しみ』という本を適当に引き当てた。

 

 

 

蝿の苦しみ―断想

蝿の苦しみ―断想

 

 

 

 

パラパラ捲るとどうも詩作の類のよう。前々から、詩は1度は読んでみたいな、と思っていたし、なんだか取っ付きやすそうなので1時間ほど読んでみることに
 
 読み進めてみると、散文詩と随筆を混ぜたような本だった。
「彼」を主語とした、まるで聖書のような口調から始まって、どこまでが繋がりを持つのか分からないようないやに説教臭い、憤るような断片的な文章を只管書き並べる
かと思うと、急にソポクレスの『エレクトラ』について延々書き並べたりする。なんだか、ニーチェみたいだな。訳者の問題では無いぞこれ
 
疲れた頭で後書きまでスラスラ流すと、どうも本作は、自分の作品を勝手に解釈し尽くそうとした愚かな読者に対して、カネッティ氏が怒りとともに書き並べた文章らしい
うーん、この手の表現方法で因果付けに対する警告をする、までは分かるのだけれど、もう少し明るく楽しくできないものか
頭は良いだろうし、偉大な、読者を選べる作家なのだろうが、なんだか教養主義が鼻について、私はあまりに好きになれなかった。
 
「歩み寄る」事への警告としての著作なんだから仕方ないが、例え正しい事を言っていても誰にも開かれていない言葉は誰にも伝わらないよ
私はこのブログではなるべく自分の政治的信条等について語るまいとしているので控えていたが、ここ最近の国政の騒ぎを見ていても同じような事を思う。
正しさは立場の数だけあって、民意というものは勿論多い方に引きずられながらも、少数の人の正しさと擦り合わせながら存在出来るものだ。だから、なるべく遠くに届く言葉を使う事が「あなたの正しさ」を遠くに飛ばす第一歩なんじゃないだろうか
 
宇宙語で書いた文章は誰にも届かないんだから……あ、私の事か
 
 
 
閑話休題
 
 
 

「うた詠み575」と歌の未来

 
 
 時間が無くて苦しいと書いた癖に何だと言われかねないが、昨日「うた詠み575」というアプリを入れてしまった
ネットで印象的な俳句論を書いていたブログの方が紹介していたのだ。
登録名を「芭蕉」にして、とりあえず始めてみる
※あ、フレンドコード「わめきおほ」なんで、もし始めている、これから始める人がいたら友達になってください
 
 
起動すると、なんだか可愛い女の子が登場。正岡小豆ちゃんと小林抹茶ちゃんというらしい
正岡子規小林一茶をもじったのか……それにしても美少女
2人のうちから使用するキャラを選べ、とのことらしい。とりあえず、まずは正岡小豆ちゃんで遊ぶ
 
こんな感じの歌を詠んだ
まがい星繋ぐ手と手の冬の影
歯ブラシの片割れ去りて俯くか
屑篭に沈む写真は春の夢
うわ、見事に体言止めか「か」止めだ……バリエーション無いな……
 
 
  暫く遊んで分かったが、これは俳句アプリというよりも、女の子に上手く吟詠させるゲームらしい
 
 プレイヤーは、2つの遊び方で遊べる。
1つが、与えられたその日のお題、もしくは自由な自分の題で俳句を読むというもの。もう1つが、「テーマ」という与えられた音楽と題に載せて、歌詞のように俳句を詠むというもの
俳句は、ひらがなとカタカナを使って作られ、指定された韻やテンポで、女の子のボカロに吟詠される。詠んだ歌は、ゲーム内掲示板に投稿して評価して貰えるし、「テーマ」に関しては誰かに次の句を考えてもらう事も出来る。
逆に、誰かの作品を評価したり手伝ったりも出来る。「とりあえず歌う」機能を使えば掲示板まで取りに行かずともランダムで選ばれた他人の歌を聞いて評価出来るし、「依頼を受ける」で他人の「テーマ」の作品を手伝うことも出来るのだ
 
したがってプレイヤーは、他人に自分の作品を音声で聞かれる事も考えて、吟詠した時の韻やテンポとの調和も考えながら、一句一句読まねばならないわけだ
これが非常に面白い事だなと私は感じた。というのは、視覚的になりつつある歌の世界を音声に揺り戻す方向付けとして、上手く行くか分からないけれどこのアプリは機能しそうだと思ったからだ
 
 
 詩の生まれたばかりの頃というのは、琵琶などを片手に音楽に載せて、節を付けて詠んだものと聞く。
この風習は現代の俳句でも絶えた訳ではないが、吟詠会などに出ない限り、普通の人は文字で俳句を見る。
分野は違うが、個人的にはこれが現代短歌のあり方にも関係するのだろうと理解している
 
このアプリの作りは、俳句から文字に関する視覚を剥奪し、女の子(機械音声だけど)の声と挙動に意識を集中させる。
課金や次句作りの依頼達成次第では、音声の調整やテーマの自作も出来るそうだし、これも課金チケットが必要だけれどニコニコ動画上に作品をアップすることも出来る
誰もが、顔を出すことなく、自分の理想とする詠み手を代理にあてて吟詠会に出席出来る訳だ。Amebaのピグとかじゃないけれど、これって凄い事じゃないだろうか
 
勿論、ゲームとして流行るのか、という意見や、ニコニコ動画の影響力なんて、という意見、このゲームの表現形式が5・7・5である意味は存在するのか、という疑問はあるだろう。
「上手くいくか分からないけれど」と書いたように、使っていて私もこれが大流行するとは正直とても思えない。機能のまとめ方や分かり易さに難があるのだ……。したがって1つめの意見はごもっともだと思う
ただ、2つ、3つ目の意見についてはきちんと反論出来る。
 
 
 まず、2つ目の意見に関してだが、若年層に歌作りを楽しんでもらう、そして歌の世界に新たな?風を吹き込むという意味では、若年層の集まるニコニコ動画との連携は確実に意味がある。
動画も音声もセガさん側が用意してくれて、やり方次第では上手く加工も出来る。こんな豪華な素材を与えられたニコニコ動画の若者達は、確実に面白い遊び方を考えつくだろう。中には「俳句」を逸脱したものも多数生まれるはずだ。その過程で洗練が行われれば、俳句の新しい楽しみ方が発見される事もきっとある
ちなみに、イメージとしては、NHKの「携帯大喜利」という番組のような流行り方をするのではないか、と個人的には考えている
 
次に3つ目に関してだが、5・7・5である意味を私は「原稿用紙のマス目」だと思っている
白紙の紙を渡して小説を書けといってかける人間はそういない。中には、善し悪し抜きでマス目を書く事さえ発想しない人間も多数いる
そういう「眠った人達」を歌作りに参入させるために、5・7・5という定型は重要な意味を持つ。限られた表現の場を用意されることで、今まで歌えなかった人達が歌作りに参入するのである
勿論、その表現の形が俳句で終わるかは分からない。それでも、歌作りに参加出来る人が増える事はそれだけで意味があるはずだ
 
 
 まあ多分セガさんは、「初音ミク流行ったし、もう少し新規参入しやすいもの作ってもう一儲けしようぜグヘヘ」位にしか考えてないのだろうけれど。それでも良いのだ
ゲームも発売するそうだし、来年1月にはアニメ展開もする予定みたいだから、沈みかけの船だけど頑張れ「うた詠み575」! 歌の未来を乗せて
 
 
追伸
 
あ、何かセガさんの悪口言ったみたいに聞こえますね……
 
久々にゲームセンターに行った基本無料の、アプリ版とは微妙に遊び方の違う「ぷよぷよクエストアーケード」を投入していたり、セガさんの試みは割といつも面白いので応援しています

『ぷよぷよ!!クエスト アーケード』 公式サイト|SEGA | リアルタイム協力RPGパズル

 
頑張ってください、セガさん!


追伸
「持ち物→作品→清書機能の利用」で、俳句を漢字や数字を用いて書き直すことや、簡単な説明を入れることが出来ると発覚しました
これで私の持論の、音に引っ張られる理論は意味なくなるかも