ポストイットとラインマーカー

わなび学生による漫画、アニメ、日常中心の覚書ブログ。短歌も1日1首載せています

12/10(火)働くお坊さん

  • なみなみと
  • 片足ヒールに
  • 珈琲を
  • ゆきずりの香
  • 苦味に溶けて









【今日の一句】

知らぬ朝皺寄るシーツたよりなく

 

 本日、極貧生活が最後を迎えた。

思えば苦しい日々だった……交通費確保のために食を切り詰め、読書を諦め、勉強で現実逃避に浸る。今まで生きてきた中でこんなにも長く食事を抑えたのは、毎日はなまるうどんのかけ小(当時105円)しか食べず1週間ほど過ごした去年に続いて2度目だが、やはり食は大切だ。

ご飯を食べないと、元気が出ないから全てのパフォーマンスが落ちる。

 

今日は最終日という事で持ち合わせが全く無く、持参した要らない漫画もデータが無いため10円でしか買い取ってもらえないと言われる始末。欲望に負けて、大学に泊まることを覚悟で帰りの電車賃を食費にあてようか真剣に考えた。

しかし、そんな私をバイト先の皆さんが救ってくれた

 

「子どもを飢えさせるのが一番いけないってこの前ならったの。次は同じように困っている人を助けてあげてね。」 そう言って、笑顔でカロリーメートチーズ味を差し入れてくれたパートのYさん。夕飯として美味しく頂きました、本当にありがとうございます。

今日は仕事を頑張ったから、とイチゴ味のチョコレートを差し入れてくれた副店長。空腹につばも乾いた口に広がるチョコレートの味は、感動で涙が出そうになるレベルでした。お陰で体が温まり、無事家まで帰る事が出来ました

 

 持つべきは、困ったときに手を差し伸べてくれる人たちだと言う

バイト先の方々以外も含めて、この一週間は文字通り身体で周りに誰かがいることのありがたさを感じた。

「日々周りの全ての人・物に感謝しよう」という意識の高い学生達やそういう言葉を道端で売っている人達を見ると、照れ以上に「ちょっと生理的に気持ち悪くて無理かも……」と考えていた私だが、少し心を入れ替えた。やはり、出来るうちに周囲の人々に感謝を示す機会を作るようにもう少し努めよう。

 

 

 

 と糖分の抜けた頭で考え、そういえば、と思い出したのが以前友人と偶然入ったラーメン屋で、「働くお坊さん」と話した時のこと

その方は家が臨済宗の弱小流派の寺だそうな。臨済宗と言えば禅宗の中でも特に修行の厳しい一派。一度山にこもれば免許をとるためには5年近く下界に降りる事ができない

父親の友人の伝でその方も、名前はもう忘れたけれど有名な寺に修行に行かされたところ、ずっと裸足で、着の身着のまま手洗いにも行けず、毎日3時に起床し布団の上で仰向けで手を胸の前に組んでいないとしごきを受ける等々非常に厳しい修行の数々を受けたようで。無事修行を終え、今は寺を継ぐまでの間下界での修行の一環としてそのラーメン屋で働いていると仰っていた

 

その方の話ではそのラーメン屋は、「夢を目指す人を応援する素晴らしい職場」ということだったが、正直な話私と、その時一緒だった友人からすれば、どう話を聞いてもただのブラック企業でしかなく

その方の身の上を聞いたのも、店に客が私達しかおらず、私が宗教や哲学と縁のある専攻だった事からの流れでだったのだが、目を潤ませながら修行の素晴らしさを語る姿はどう見てもどこか違う世界へいってしまっていっているような鬼気迫るものがあって

話自体は興味深かった一方で、その言葉は非常に不気味だった

 

お坊さんは語っていた

「○○派の生活においては全てが修行なんです。こうして味噌を焼くのも(「焼き味噌ラーメン」を提供する店だった)、美味しい料理を提供するのも、いやそもそも息をすることにだって修行が含まれているんです」

「じゃああなたの生活はどこにあるんですか?」と私が訊ねると、「それを捨てる事こそが修行なんですよ。生きたまま悟りをひらくのが目標なんです」と、あのにこやかでありながら目の飛び出た鬼気迫る顔で返してくれた。あの瞬間は、目の前の人がもう完全に何かをずれさせてしまっているんだという事が分かって、本当に怖かった

 

 

 今日までの極貧生活は見方によってはおこがましいがお坊さんの修行生活に通じるものがあるかもしれない

生のありがたみに日々感謝し、禁欲的に生きる。

うん、確かに分かりましたよ。「当たり前」のありがたみが。もしかするとこの生活を続けていれば、私にも「悟り」って奴がひらけるのかもしれない

 

ただ、そのために特定のドグマへの完全な帰依が必要だ、という、そのお坊さんの考え方には決して賛同できないな

その人は、「臨済宗のお坊さんとして生きたまま仏身になる」という厳しい修行を耐えて守り抜いてきたテーマがあるから、目を爛々と輝かせてその考え方を受け入れられるんだろう

しかし、全ての人にはその人なりの気づき方ややり方というものがあって、確かに最終的に大体の道は一本に集約されるにしても、最初のうちは異なるあり方があってもいいはずだ。

 

それが正しいか否かとか関係なく、あんな風に、どこかねじを失ってしまって見えるような生き方はしたくない。

やはり、私は気づいたときに物事に感謝する方式で生きていこう。

そう思い直した、腹ペコのある日だった



追伸



 GO♪GO♪575のアニメ公式サイトがついにオープンしたよう。

皆観てあげてください。私も、面白くなるか分からないけれどとりあえず絵は可愛いから、頑張って最後まで観てみようと思います

TVアニメ GO!GO!575|SEGA